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bonar note

京都のエンジニア bonar の技術的なことや技術的でない日常のブログです。

「簡単であること」への違和感


僕は大学時代2つのゼミに入っていて(普通の授業を取るより単位が稼げたため)、
そのうち1つはHuman Interfaceに関する研究会でした。
#といっても僕は直接UIについて考えるチームじゃなくて、コードを書く方のチームだったけど。
#そして僕の研究も、書いてたコードもほんとにひどかった。


当時はノーマンの「誰のためのデザイン?」とかがよく読まれていて、UI研究が一般にも認知されだした頃でとっても盛り上がっていました。「コンピュータを使いこなせないのはユーザが悪いんじゃなくてハードウェアやソフトウェアのUIデザインが悪いんだ」って感じですね。学生だった僕は「なるほど!そうだったのか!」って感じで熱狂したわけですよ。確かに使いにくい電化製品とかってたくさんあったんです。とくに学生時代に使っていた電子レンジ(聞いた事もないメーカー製で、パチンコの景品)は最悪だったなあ、、何も書いてないボタンが二つと開閉ボタンだけのある意味洗練されたUIで。


そんなときに Palm.com で、"Zen on the Palm"というコラムを読んだんです。これはPalmOSがいかに素晴らしいかを禅問答形式で主張するっていうものなんですね。このページ今とっても読みたくなって色々検索してるんですが、さっぱり出てきません。。似たようなPDFがあったので一応のせておきます。

Zen of Palm
http://www.palmos.com/dev/support/docs/zenofpalm.pdf


僕のおぼろげな記憶では、もっとたくさんの設問があって、その中に以下のようなものがありました。

問い「目も見えない耳も聞こえない人と会話するにはどうしたらいいか」
答え「彼らの言葉で話しなさい」

もちろんこれはコンピュータとのインタラクションに対する比喩です。コンピュータは人間に比べて表現の手段や情報の入り口が制限されているし、認知機構も人間の方が優れているのだから、人間の方から歩み寄ったほうが合理的だっていう話です。ちなみにこれはPalmの入力メソッドであるGraffiti(Palmスタイラスを使った特殊な入力方法を採用している)の優位性(人間の手書きを認識させるのではなく、機械が認識できる文字で入力したほうが正確でしょ?)を主張するためのパラグラフでした。


人間のあらゆる入力に対してそれを完璧に理解するような製品を開発するよりも、人間が機械のエラー出力とその対処法に慣れる方が簡単だと、そんな感じの趣旨だったと記憶してます。かなりおぼろげなので間違ってたらごめんなさい。。「人間から機械に歩み寄る」っていう発想がむしろ新鮮ですごく印象に残ったんです。


なんか、時代に逆行するような感じですが、当時の僕にとってはなんだかこっちのほうが説得力があったんですよねー。。ビデオデッキのUIがもっと洗練されたものであったなら、おじいちゃんもサクサク予約録画ができるのだろうかと、そんな場面を想像してみると、僕のシミュレーションではどうやっても「NO」なんですよね。まあ、これは個人差あると思いますが。


というのも、今ちょっとAppleScriptを勉強したいなと思っていていろんなサイト巡りをしているのですが、なんかすごいっすねAppleScript。何がすごいって、コードがなんか自然言語みたいなんですもの。

if myItem is 0 then display dialog "持ち物がありません" buttons {"OK"} default button "OK"
Wikipedia:AppleScriptから引用)

なんか、わかりやすすぎて不安になるというか。とっても複雑な処理がワイルドにラップされてることへの違和感みたいのがあるんです。僕だけかもですが。


「すげえ!便利!」って思う反面、難しいことは適度に難しくあって欲しいっていうMな自分もいるんですよねー。なんでだろう。いざ細かく何かやりたくなった時に困りそうだから、みたいなもっともらしい理由もなくはないですが、実際そんな局面あんまりないしなあ。簡単なことは簡単に、難しい事もそれなりに、が最高かな!それPerlだ!


use the affordance, luke.